デジカメ散策を日課としています。=日替わり的・不定期発信=

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モスクワ大学生との親善交流。

西伊豆JC以来、当地の有志は13回にのぼる留学生との親善交流をしています。
本年も2月14、15日の2日間、下田より戸田、修善寺までの交流会が行われました。
下田・玉泉寺、戸田・宝泉寺の墓前に線香をたむけて他国に眠る魂を弔いました。
私も14日の懇親会、15日の戸田より修善寺まで、車を運転してお供をしました。
留学生の皆様は気さくな方々ばかりで、有意義な親善旅行を満喫された様子でした。
私ごとですが、タイミングよく「マホフ神父」を刊行、多くの方にお渡しでき、
開港150年の歴史に少し役立てたと自負しています。その中に次なる一文があります。

 事実、奇跡にも似て、早朝より千人もの男女が、浜辺に押しかけているのが見えました。
日本人たちはカッターで繰り出した意味を賢明に読みとり、激浪がカッターを岸に放り
出すのを、体に縄を結びつけて決死の覚悟で身構えてくれたのです。カッターが岸へ着くや
いなやそれを捉え、潮の引く勢いで、沖へ奪われないよう支えてくれたのでした。
 私の口より、無限なる感謝の言葉がほとばしり出ました。 「善良な、まことに
善良な、博愛の心にみちた民衆よ! この善男善女に永遠の幸あれ! 末永く暮らし、
そして銘記されよ。……五百人もの異国の民を救った功績は、正しく日本人諸氏の
ものであることを!あなた方のおかげで、ただ今、生き永らえている私たちは、安政元年
11月28日(露暦1855年1月4日)の出来事を胆に銘じて忘れないであろう!」と……



▲15日、戸田・御浜からの富士山。松林の中に戸田造船郷土博物館はあります。



▲富士市にあるデイアナ号の錨(ベルベルさん写真提供)
デイアナ号はこの三四軒屋沖で沈没、錨は引き上げられ、▼一つ戸田へ贈られました。



▲その一つ、戸田造船郷土博物館前の錨です。



▲造船博物館で戸田史談会の皆様に迎えられるアントニーナ団長と研修生。




▲富士山に感動しながらの撮影。強風で撮すのが難しかった?



▲たまたま来ていた観光客の赤ちゃんと親善交流。



           ▲戸田造船郷土博物館前で戸田史談会員と。



▲箸を日本人以上に使って昼食です。(国民宿舎へだ荘)



▲戸田・宝泉寺のロシア兵の墓(安政に亡くなられた)


     
      ▲下田・玉泉寺のロシア兵の墓を参拝(14日・細田氏撮影)



▲修善寺ハリストス正教会。私は初めてここを知りました。



▲修善寺ハリストス正教会前にて。



▲最後の観光地「修禅寺」ここは一仙の弟・福田徳蔵が作品を遺しています。

     ▼以下は14日、細田氏撮影によるものです。

▲みなみの桜と菜の花祭り

 ▲ヴィラ扇の娘さんと

▲玉泉寺にて

囲炉裏端の 好日の表紙




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